小杉放菴研究舎|新しいお知らせ

ウェブサイトのリニューアル

近々、小杉放菴舎のウェブサイトのリニューアルを行ないます。

文字や画像を大きくして、構成もシンプルに、

読みやすくする予定です。

御期待ください。

山神社例祭

御遷座し19年目になる「山神社」例祭を執り行いました。

平成15年10月8日、放菴終焉地、妙高高原赤倉の旧安明荘跡に鎮座していたが、祀るものも居なくなったので、所有者「太平洋セメント㈱」に交渉しご寄贈いただき19年にもなった。

来年は20年目の式年遷宮の年なので、盛大に催しますので大勢のご参加をお待ちしています。

第29回 風の盆研修旅行❣

参加者の申込時、紆余曲折がありましたが、何とか18名で催行しました。
出発時は曇り空でしたが、北陸道に入ると徐々に雨が降り始め、富山IC.通過時には線状降水帯に入り土砂降りで、その中、特別注文した「鱒寿し」の川上鱒寿し店社長が待っていてくれて、雨の中受け渡しになりご迷惑をかけた。
八尾の駐車場には時間通り到着し、休憩所となる「なりひら」を紹介して下さった「桂樹舎」に立ち寄り、和紙製品のお土産を沢山買っていただいた。
次に曳山会館見学に入館したら、「なりひら」を貸してくれる上新町商工会理事長さんが待っていてくれて、見学後「なりひら」にご案内頂いて余分な荷を置き八尾町を散策に出かけた。
例年のコースではあるが初参加の人もいるので「おわら資料館」に希望者を入館させ、以外の人は集合時間を決め周辺を散策に。
その間、故古川克己さんのお墓まで高松さんを伴って香を手向けてきた。
集合時間には皆さん揃っていたので休憩所の「なりひら」まで戻り、鏡町の「花付け」まで休憩し夕食の「鱒寿し」を頂いた。
「花付け」30分前に出発し、今までの休憩所だった放菴ゆかりの「杉風荘(旧杉下楼)」に入り鏡町の皆さんにご挨拶し時間まで待った。
いざ「花付け」となったら、この3年間で地方が入れ替わり若返っていた!
踊り手も同様、中高生だった子が「雲」を着ている。
古川さん亡き後挨拶に立ったのが胡弓名人「橘」さんで、地方で太鼓を担当になった。
「花付け」が終わり休憩所に戻れば後は自由時間で、街に繰り出し散策したり、飲みに行ったりと夫々楽しんだ。
髙橋氏が街に繰り出したいというので、若き起業家 原井紗友里さんの「越中八尾ベースOyatsu」で軽く一杯!ラーメンが食べたいというので東町まで下り、キッチンカーのあるところまで流してきた。
日も変わり4日の1時。街流しに出る時間なので鏡町まで行ったら既に流しており、いつも通り付いて行ったらコースが違う?何と故古川さん宅前で「追善のおわら」奉納だ!亡くなってから初めての「風の盆」なので長々と奉納していた。この時は歌い手も涙ながらに歌うが声にならない。それほどに古川さんは慕われていた。普段はあり得ない他町内からも歌い手が参加していた。
その後はいつものコースに戻りわれらの休憩所下は通るので皆さん起きているかと思っていたが、流石三味線と胡弓の音が聞こえれば起きだしていた。
曳山会館前で休憩に入っていたら、樺沢さんが八尾の友人と来ていた。そこに東町の街流しが来たので見入っていたら、鏡町がどこかに消えてしまった‼
序だから樺沢さんと3人で東町に諏訪町までついて行ったら人が居ない‼ こんな光景今まで見たことが無い。
そのままフラフラと話しながら4時に「なりひら」まで戻って小休止し、メンバーを出した後は部屋を確認しバスに到着。
時間通りに発車し「越中八尾駅」に到着したが、先発隊が「今日は見送りおわらは中止と出ていた」というので諦めて出発し、富山のお土産を買いに「有磯海SA.」に寄り、妙高高原「香風館」で朝食・入浴・仮眠・昼食をとり、暫くぶりに放菴終焉の地「旧安明荘」跡に立寄った。
次に御開帳があった「善光寺」に参拝!
ここでも皆さんお土産お買い上げ! 栃木の人はお土産大好き❣
日程は何事もなく無事終了、コロナに罹ったとの報告もなく何よりであった。

第29回 風の盆研修旅行開催!

コロナ禍で開催が危ぶまれていましたが、「これ以上開催を中止にしては伝統行事の継承が出来ない」との思いから、おわら保存会は開催を決しました。

これにより我が小杉放菴研究舎も研修を決定し、来る9月3・4日富山市八尾町の方々と、密を避けながら交流を行いたいと思います。つきましては、25日で締め切りましたが、29日(月)まで申し込みをお待ちしますので、ご参加のほど宜しくお願いいたします。

今年は前夜祭もなく、1~3日のみになりますが、マイカーの駐車場は用意しないそうで、バスのみの駐車場整備だそうですので、観光客は極めて少なくなるようです。

研究舎の杉風荘での休憩も今年からは借りられないため、名士の方に休憩場を探して下さるようお願いしたら、旧知の上新町商工会長の吉田陶器屋さんが、商工会所有の「なりひら」がキャンセルになったので使ってくださいと申し出て下さったので、夜の休憩は整った次第です。

この「なりひら」が来年以降借用できないようであれば、今回を持って「風の盆」研修旅行は終了したいと考えております。事情御汲み取り下さいますよう宜しくお願いいたします。

放菴忌のご案内

来る16日は「放菴忌」になりますので、午前中天候具合が良かったからお墓の清掃をしてきました。

今年は会員を募っていないので日光の住民と美術館職員でお参りしてまいります。

追って会員募集のご通知をお送りしますので、その節はお申し込みのほど宜しくお願いいたします。

尚、今年の「風の盆」は伝統行事継承のため開催の予定で進行中とのことですので、会費御振り込みが済んだ方のみに研修会のご案内申し上げます。但し、例年と同じような開催ではなく、コロナ禍であるため観光協会が周知するのではなく、おわら保存会がそれぞれ開催の形らしいので、観光客待ち受けの諸設備の準備は無いそうです。

毎回休憩出来た「杉風荘」も今年から使用は出来なくなる為、別の場所を見つけて頂いています。もしもの場合は以前の様にバスでの休憩となるかも知れませんことを申し添えます。ただ、花付は「杉風荘」を使ってご披露頂けますからご安心ください。

山神社例祭!

昨日は「小杉放菴記念日光美術館」入口アプローチに鎮座しています、「山神社」の例祭でした。

妙香山麓の旧安明荘跡に残されていた邸内社が、太平洋セメント様からご寄贈頂いて18年になります。

毎年御鎮座した10月8日を例祭日として神饌をあげてお参りしています。

石祠は放菴と次男の次郎さんにより鑿が入って居る、唯一の彫り物になります。

手前には放菴が毎日妙香山を眺めるために「高石」に上り座していた「腰かけ石」が据えてあります。

「白岩」種差海岸

去る6月14日~16日まで、南三陸町から三陸海岸を縦断し、八戸市種差海岸の「白岩」を撮影してきた!

「白岩」は放菴が『日本の十和田湖 青森の山水』口絵に描いている「鵜嶋明神」である。

岩全体がウミウの糞で真っ白くなっているが、この日いたのはウミネコのようであった。

その後、5月に新社殿が竣工した「蕪嶋神社」に参拝。

野澤宮司さんと久しく歓談した。

古川氏七七忌

去る4月18日は、「風の盆」研修で大変お世話になった、鏡町おわら保存会の古川克己さん(越中八尾おわら保存会 副会長)が亡くなられて四十九日忌に当たるので、仏前と墓前に香を手向けて来ました。

思い返せば1月6日に富山県大雪との報道が有ったので、大雪見舞いの電話を入れたらか細い声で受け答えしていたので、「どうしたんです!調子悪いんですか?」と聞いたら「末期の胃癌なんですが、コロナ禍で手術が出来ないんで、自宅療養しているんです。」との答え。・・・・何と言って励ましたらいいのか考えて居たら「頑張ります‼」と返って来ました。

早速、病気平癒の御守と御見舞金を手紙を認めて送った所、「お見舞い有り難うございました(^O^)」と元気な声で電話して来ました。そして御守と手紙を壁に張って、見舞いに来た人に自慢していたことを先日奥様から聞かされました。18日は台風の様な日だったので、仏前に焼香した後は鏡町の大御所さん達の所にご挨拶し、翌日奥様と共に墓参してまいりました。

息子さんや大御所さん達との会話では、今年の「風の盆」は今の所開催するとの事だが、肝心の練習が全く出来ないし、「編み笠被ってマスクして踊りは出来ない」とのことで、「中止せざるを得ないだろう」と云っていました。

因って、報告書でもお知らせしましたが、新型コロナウィルスが終息に向かうまでは、当分の間研究舎は「休止」と致しますので会費はご請求いたしません。

しかし、この「お知らせ」で変化が有る事を掲載しますので、時々ご覧頂きたく宜しくお願い申し上げます。

放菴忌について

今年の「放菴忌」も残念ながら、昨年と同様、
新型コロナウイルス感染症の影響で、
会員の皆さんには参加いただけない旨の
御案内をいたす次第となりました。

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小杉家の墓所

明日16日(金曜日)には、美術館の職員と私がお参り
してきますので、御自宅から小杉放菴を
偲んでいただけたら幸いです。
 
お墓の掃き掃除は、先日12日(月曜日)に行ないました。

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小杉放菴の墓

コロナ禍は第4波に入ったそうですので、
皆さま、くれぐれも御身御自愛ください。 
また、今年の「風の盆」は、現在のところ、
開催予定だそうですので、近くなりましたら、
確認の上、御案内いたします。
 
ただし、バスは大型を使っても25人までしか
乗車できませんので、旅行会費は
例年より高くなることを御承知ください。
 
4月18日(日)は、故・古川克己さんの
四十九日忌に当たるので、香を手向け、
墓参をしてまいります。
 
此方も、八尾町に向かい、偲んで
いただければ、ありがたく存じます。

おわらの重鎮、逝く!

小杉放菴研究舎の第1回目の研修からお付き合いいただいた、
富山県民謡おわら保存会副会長(保存会鏡町支部顧問)の
古川克己さんが、3月1日の早朝にお亡くなりになりました。
 
1月6日、富山市内が豪雪との報道があったので、お見舞いの
電話を入れたところ、張りの無い、か細い声で出られました。
 
「調子が悪そうですね」と言ったら、「末期の胃癌なんだが、
コロナで手術ができず、自宅療養なんです」とのこと。
 
もう、何と励ましたらいいのか、言葉が出て来ませんでした。
 
後日、見舞金(個人)と御守を送ったところ、1月15日に
お礼の電話があり、今度はハッキリした声での受け答えでした。
 
「有り難う、頑張ります」とおっしゃった、
これが最後の言葉となってしまいました。
 
そして、今日3月1日の昼、保存会史料編纂部長の
嘉藤さん(上新町)から、「今朝亡くなりました」との
メールが入り、愕然とました。
 
その後、奥さまに電話を入れ、弔意を申し上げたところ、
先日、お送りした手紙と御守を壁に貼り付け、見舞いに来た
皆さんに自慢をしていたそうです。
 
一昨年に上木秋徳さんを亡くし、おわらの重鎮が
二人も居なくなってしまいました。
 
返す返すも残念でなりません。
 
理不尽なり、COVIT-19!

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5年前、2016(平成28)年5月25日の訪問時

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2017(平成29)年の風の盆

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2019(令和元)年、最後の写真