小杉放菴研究舎|新しいお知らせ

Archive for 2011年6月

韓国・慶州の足跡めぐり1

6月20日から23日まで、小杉放菴研究舎の柳原主宰は、日光市と観光友好都市
協定を締結した、韓国・慶州市にのこされた小杉放菴の足跡をめぐってきました。
 
小杉放菴は、1926(大正15)年6月、雑誌に慶州の残存美術の紹介をするため、
取材に訪れています。同年8月1日発行の美術雑誌『アトリエ』第3巻第8号に
「慶州の古美術」として、また、1934(昭和9)年4月5日発行の著書
『草画随筆』には、「慶州記録」として、スケッチ画とともに掲載されました。
 
今回は、それらの記録と、『放菴日記』に出てくる場所を辿りました。
 
6月21日、慶州市庁舎に御挨拶し、市が手配してくださった
ガイドの孫さんに要望を伝え、まず「南山」に向かいます。
 
「南山」は新羅文化のすべてを示す「屋根の無い博物館」であると言われます。
 
小杉放菴は、茸長谷から入山しましたが、我々の足ではむずかしい
とのことなので、比較的なだらかな「三陵」から入山しました。

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拝里三陵

三陵渓谷の入口にある、手前から、第54代・第53代・第8代の新羅王陵です。

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釈迦如来坐像

『放菴日記』には記述が無いので、当時は発見されてなかったものと思われます。

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磨崖観音菩薩立像

岩が自然の光背を形成している陽刻立像です。
 
これも『放菴日記』等に記述はありません。

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線刻六尊仏

手前に三尊、奥に三尊が彫られており、真中が本尊です。
 
これも『放菴日記』等に記述はありません。

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線刻如来坐像

高麗時代の作品と推定される、線刻の如来坐像です。
 
これも『放菴日記』等に記述はありません。

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如来坐像

この如来坐像は、小杉放菴が訪れた当時、顎が欠け、光背も倒れていたそうです。

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磨崖釈迦如来坐像

高さが7mあり、三陵渓谷では最大の仏像です。

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金鰲山頂(海抜468m)

頂上にて、同行の鄭さんと記念写真。茸長寺址まで行きたかったのですが、
アクシデントのために次回とし、ここから引き返すことになりました。
 
6月22日の分は、近日中に掲載しますので、乞う御期待。

〈風の盆 越中おわら V〉 公演

5月28日(土曜日)に、小杉放菴の生誕 130年を記念して、
「風の盆 越中おわらⅤ」の公演が開催されました。
 
当日は、あいにくの雨模様であったため、墓前での奉納踊は中止になりましたが、
小杉放菴記念日光美術館での公演は、雨にも拘らず、満席になる盛況でした。
 
さすがは「おわら踊」です。
 
ステージバックの楓が雨に濡れて、最高のホリゾントになりました。

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三味線と胡弓の演奏、地方と唄

三味線と胡弓の演奏、地方と唄の共演で平唄・五文字冠り・字余りと
解説付きで披露され、いよいよ男踊が始まります。

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男踊

つぎは女踊。すなわち、1928(昭和3)年に、おわら保存会の
初代会長である川崎順二氏の依頼により、小杉放菴が作詞した
「八尾四季」の唄にあわせて踊る「四季の踊り」です。

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女踊「八尾四季」

第1ステージが終わり、小杉放菴のお孫さんである
小杉正太郎(早稲田大学名誉教授)さんと
古川(保存会総務企画部長)さんと歓談。
 
「数年前に見に行ったが、人の頭ばかりで踊りが見られなかった。
 
このような素晴らしい踊りとは判らなかった。今年は宿を取って
行きます。」と、感激の感想を述べてくださいました。

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小杉氏と古川氏

今年の「風の盆」(9月1日~3日)が楽しみになってきました。