小杉放菴研究舎|新しいお知らせ

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放菴の足跡をめぐって(取手/牛久)

5月1日に、茨城県取手市における小杉放菴の足跡を調査しましたので御報告します。
 
小杉放菴(未醒)は、1903(明治36)年8月に、田岡嶺雲(中国民報主筆)と
佐藤秋蘋(いはらき主筆)らの紹介で、小川芋銭と知り合いました。
 
小杉放菴は、小川芋銭の紹介で、取手の篤志家・宮文助と知り合い、
その縁により、宮文助のもとに、森田恒友、中川一政、木村荘八、
岸浪百草居、公田連太郎ら、多くの文人墨客が集まることになります。
 
宮文助は、それまで、蛇行していた利根川が、増水すると氾濫を繰り返し、
住民が難儀していたのを見かねて、現在のように真っ直ぐな川に改修しました。
 
このような功績をのこした宮文助を称え、小杉放菴が撰した碑文には、
「……此の風骨を慕ふも能田夫と漁夫文人と墨客貴紳と官吏と皆楽しみて平等の
交り於結びたり…」と記されており、多くの人に慕われていたことが分かります。
 
この碑文の題字は、公田連太郎が揮毫してます。

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宮文助翁顕彰碑(常圓寺境内)

その後、小川芋銭を偲んで、牛久市へと向かいました。

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小川芋銭の旧居

牛久市にある、小川芋銭の旧居「雲魚亭」に立ち寄りましたが、
休館日だったので、庭から拝見し、菩提寺「得月院」で墓参しました。

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小川芋銭の墓

今年の放菴忌について

今年の放菴忌も、何事もなく、無事に終了しました。
 
ただ、参列者が少なかったのは残念です。

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小杉放菴の墓前にて

墓参後は、小杉放菴記念日光美術館で、〈所蔵作品撰part1-小杉放菴〉展を
鑑賞し、日光鱒寿司本舗の特製弁当をいただいてから、神橋に集合した
花家体(弥生祭前夜祭)を見学しました。

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弥生祭前夜祭