機会があって沖縄へ旅行しましたので、2009(平成21)年の、
前回の訪問時には見落としていた場所を訪ねてきました。
1916(大正5)年1月から2月にかけての、小杉放菴が
「琉球行」と題した『日記』の中に、以下のような記述があります。
『放菴日記』の1916(大正5)年2月8日の項
……首里城荒廃……泉あり、門辺の岩の下より出で、石龍の口より小瀑をなす、石碣題して中山第一泉と云ふ、その石碣に近来「嗚呼首里城」とかけるものありしとて 一時物議喧しかりと云ふ あたりまへの事なり、……
この情景は、『南嶋帖』(出光美術館蔵)に「中山第一泉」、『日本風景版畫
第7輯琉球之部』に「首里城中山第一泉」として描かれており、どちらにも、
石碑と、綱を付けた桶のようなもので泉で水を汲んでる様子が描かれています。
描かれている門は「瑞泉門」で、手前に数本の石碑が並んでいる。
小杉放菴は、アーチ形の門に描いていますが、しかし、実際の
「瑞泉門」は、四角の石組みの上に櫓が乗っています。
アーチ形の門は、一つ手前の「歡會門」です。
小杉放菴としては、《或る日の空想》や《出関老子》に見られるよう、
デザイン的にアーチ形を好んだのではないでしょうか?
右側の石垣の切れ間の中に「龍樋」があり、石段左右に、
中国(明)からの冊封使の書の石碑が並んでいます。
ここだけは戦災に遭わず、のこりました。