小杉放菴研究舎|新しいお知らせ

Archive for 2013年11月

放菴の足跡を訪ねて(沖縄2)

機会があって沖縄へ旅行しましたので、2009(平成21)年の、
前回の訪問時には見落としていた場所を訪ねてきました。
 
1916(大正5)年1月から2月にかけての、小杉放菴が
「琉球行」と題した『日記』の中に、以下のような記述があります。
 
『放菴日記』の1916(大正5)年2月8日の項

……首里城荒廃……泉あり、門辺の岩の下より出で、石龍の口より小瀑をなす、石碣題して中山第一泉と云ふ、その石碣に近来「嗚呼首里城」とかけるものありしとて 一時物議喧しかりと云ふ あたりまへの事なり、……

 
この情景は、『南嶋帖』(出光美術館蔵)に「中山第一泉」、『日本風景版畫
第7輯琉球之部』に「首里城中山第一泉」として描かれており、どちらにも、
石碑と、綱を付けた桶のようなもので泉で水を汲んでる様子が描かれています。
 
描かれている門は「瑞泉門」で、手前に数本の石碑が並んでいる。

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小杉未醒(放菴)『日本風景版畫第7輯琉球之部』より「首里城中山第一泉」

小杉放菴は、アーチ形の門に描いていますが、しかし、実際の
「瑞泉門」は、四角の石組みの上に櫓が乗っています。
 
アーチ形の門は、一つ手前の「歡會門」です。
 
小杉放菴としては、《或る日の空想》や《出関老子》に見られるよう、
デザイン的にアーチ形を好んだのではないでしょうか?

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瑞泉門

右側の石垣の切れ間の中に「龍樋」があり、石段左右に、
中国(明)からの冊封使の書の石碑が並んでいます。

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龍樋

ここだけは戦災に遭わず、のこりました。

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歡會門

韓国・慶州の足跡めぐり3

一昨年の6月に慶州市の南山を巡りましたが、思わぬアクシデントで
金鰲山頂上から引返してしまったため、今回(10月23日)は、下ろうと
したのとは反対側の登山口(小杉放菴が登った所)から入山しました。
 
『放菴日記』の1926(大正15)年6月4日の項

……山にかゝる 渓について上り 岩山に攀ぢて仏塔二基を見る 一は丸き三重の上に無首の仏あり 一は方形の三重 他に線ぼりの仏もあり……

 
『アトリエ』第3巻第8號「慶州の古美術」(大正15年8月1日発行)より

……南山の山中に在る石佛石塔にはまだ寫眞にとられぬもの多いと聞いて、一日寫眞師同行で出掛けた。南山は峯多く、大てい岩山、ある峯に三重の臺上の石佛を見る、臺は塔様をなす故、塔佛とでも云って置くか、佛像に首缺けては居るが、姿態衣紋の沈重さ、圓形三重の輪の寸法、大いに見るべきものありと思ふ、或は此像は新羅の高僧の記念像かとの説もある傍らの岩壁に線彫りの佛像あり、是はあまり感心せず、同時代か異時代か、同時代にも巧拙あるべきと思ふ、其時代はいつ頃かと問はれても小生には分らぬ、少しく上に方形の三重石塔、此の様式の塔は他にも多く見られる、山上にポツリと立って居る姿は寂しい、……

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三重の臺上の石佛

「石造如来坐像」です。

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方形の三重石塔

今回も美女2人の案内で巡りました!

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方形の三重石塔

放菴の真似をして!(『アトリエ』に掲載の写真より)

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方形の三重石塔

この石塔は1924(大正12)年に、朝鮮総督府により立て直されました。

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磨崖如来坐像

線彫りの佛像です。

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南山の山稜

放菴が登った頃は、禿山だったと記しています。
 
帰途、梁山市の通度寺に立ち寄りましたが、日本の
比叡山や高野山を思わせるくらい広大な境内でした。

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通度寺の山門

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通度寺の境内

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通度寺の境内

鐘楼と鼓楼が一緒になった建物など、見たことがありませんでした。