小杉放菴研究舎|新しいお知らせ

Archive for 2011年7月

第18回研修旅行のお知らせ

第18回研修旅行を行ないますので、小杉放菴研究舎の会員の皆さまは、
万障繰り合わせの上、御参加くださいますよう、御案内いたします。
 
「風の盆」研修は、9月3日(土曜日)から4日(日曜日)に行ないます。
 
旅程につきましては、すでに、お手元に着いていると
思いますので、お早めに申し込み願います。
 
なお、今年度の会費を未だ振り込まれていない方、新規の方でTシャツを
申し込まれる方は、参加費と共ともに、お振込みをお願いします。

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「風の盆 越中おわら」

韓国・慶州の足跡めぐり2

6月22日は、鄭さんは市の業務に戻られたので、
ガイドの孫さんの車で足跡をめぐりました。
 
まず、石窟庵に車を向け、長い参道を15分ほど進むと、
正面の山の中腹にお堂が見えます。
 
ここ石窟の仏像については、2009年(平成21年)7月24日の
下野新聞に寄稿しましたので、覚えておられる方も多いと思います。
 
まず、石段手前の「甘露水」が目に入りました。
 
『放菴日記』に「窟下の薬泉味よろし」とあるので、口を潤します。
 
まさに「甘露!甘露!」でした。

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甘露水

石窟庵の御本尊「釈迦如来仏」は撮影禁止のため、
後日、絵葉書の画像を「足跡めぐり」の「西」に掲載します。

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石窟庵

山を下ると、直ぐに「掛陵」に着きました。

『放菴日記』には、「掛陵 文武の石人 武の方腰の態よし」と記されています。
 
手前から、「華表石」(日本の神社の「鳥居」のこと)、武人石、文人石、
石獅子と続き、奥に見えるのが、新羅の第38代・元聖王を祀った「掛陵」です。

陵の周囲の方角には、十二支神像が施されています。

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掛陵

次に、南山の北側にある「上書荘」を訪ねました。
 
『放菴日記』には「崔致遠の祠堂」としか記されていません。
 
ここは、一般の観光客が、あまり来る場所ではなく、
慶州の歴史を学んだ人や、崔一族の方々だけが訪れて、
彼を偲んで祭祀を行なうくらいだそうです。

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上書荘

昨日、時間の都合で拝観できなかった「拝里三尊仏」を訪ねました。
 
小杉放菴は、「慶州石佛中の傑作」と評しています。
 
以前は、建物が無かったので、仏像のお顔が光の加減でいろいろな表情を
見せていたらしいですが、 現在は仏像を保護するために建物を作られて
しまい、それが判らなくなったのが残念です。

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拝里三尊仏

「鮑石亭址」を、小杉放菴は「盃流しの古跡」と書いています。
 
新羅王室の離宮跡で、花崗岩で作られた曲水溝の長さは、約22mあります。

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鮑石亭址

「武烈王陵」は、新羅の歴代陵墓の中で被葬者が判明している唯一の陵です。
 
『放菴日記』には「武烈王陵 陵碑の台の亀」とあります。

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武烈王陵

「金庾信将軍の墓」。金庾信は新羅が三国統一の
偉業を果たすのに大きく貢献した将軍でした。
 
『放菴日記』には「金庾信の陵」と記されており、
墓の周りの各方角に十二支の神像が配されています。

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金庾信将軍の墓

「世界遺産 良洞民俗村 香壇」に、昨年の日光市民旅行で
お世話になったお礼にお伺いしました。
 
今回、訪ねたときは文化財審議会?の方々と修理の打合せを行なって
おられたので、終わるのを待って御挨拶しましたが、昨年の記念写真と
手土産をお渡ししたところ、たいへん喜んでくださり、昨年と同様、
蓮茶で持て成していただきました。
 
外を眺めているのは御当主で、柱の左に見えるのは香木の「白檀」です。

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良洞民俗村 香壇

「石氷庫」は「月城」の城内にある、俗に言う「氷室」です。
 
小杉放菴は、日記に「氷石庫」と記しています。

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石氷庫

「月城」の城内にある芙蓉の花畑(未だ葉だけ)を通り抜け、「鶏林」に着きました。
 
慶州・金氏の発祥の地であり、小杉放菴は、ここが気に入ったのでしょう、
3日間も続けて立寄っています。

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鶏林

坂を上ったところが「月城」です。
 
「月城」の入口からの、このコースは、まさに、小杉放菴の通ったコースと同じでした。
 
当時は、坂は舗装されてなかったでしょうが……

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月城

「瞻星台」は、新羅の第27代・善徳女王が作らせた、東洋最古の天文観測台です。
 
昨年、BSフジで放映されていたドラマの主人公が「善徳女王」でした。

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瞻星台

「芬皇寺」も善徳女王の時代に創建されてた寺です。
 
むかしは、このあたり一帯が芬皇寺の境内でしたが、
現在は、この三重塔と本堂だけがのこる閑寂な寺となっています。
 
塔は、レンガで出来ているように見えますが、
安山岩をレンガのように砕いて積み重ねてあります。

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芬皇寺

今回は時間の都合上、ここまでしか廻れませんでした。
 
小杉放菴が慶州を訪ねたのは、いまから85年も前のことですが、4日間で汽車と
自動車、俥を乗り継いで巡っていたにもかかわらず、他の場所にも廻っています。
 
バイタリティーが凄かったんだなとしか言いようがありません。
 
残りは次回にして、お世話になった孫さんの慰労の食事会を行ないました。
 
観光客の利用しない、郊外の韓定食処に案内いただき、健康食である
蓮のコースを注文しましたが、大満足のお料理でした。
 
写真は最後の料理で、もち米を蓮の葉で包んで蒸したものです。
 
この前に11品ほど出ましたが、これで1人25,000W(約2000円)。

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韓定食

翌日は、孫さんがホテルに迎えに来て、高速バスターミナルまで送ってくださいました。
 
たいへん、ありがとうございました。感謝感謝です。
 
カムサハムニダ!